んー。

所ジョージさんの「苦労とか努力っていう人はたぶん才能ないんだと思う」から考える諦めの重要性| らふらく^^ ~ブログで飯を食う~

 

こういった言説は、もう「概ね古典」と感じるほど何度も聞いた話だけど、

どんなに好きでやりたいことでも、努力や苦労は当然あるわけです。

特にお金のやりくりとかね。

上みたいなのは非常にかっこつけた言い方だよね。

働いててなんとも思わない人なんか多分いませんよ。

ああいうのは一部の超セレブにしか通用しないんじゃないの。

 

で、「才能がなければ成功しないか」という話だけど、

才能ってそんなにありますかね。

「人よりちょっと絵が上手い」程度の子が、

画家やマンガ家になる、なれるとは限らないし、

そういうのこそ「凡庸」と言われることすらある。

錦織が最近世界ランク上がってきたけど、

才能がずば抜けているという彼も、かなり最近地味な努力を重ねてやっと上がってきたわけで、

誰でもそういうもんでしょうね。

 

結局人間は、なんとはなしに「これやりたいなあ」

と思ったことをやっていくしかなく、

それがどんなに浮き草稼業であっても、多分、

イヤイヤ会社員とかにはなれない。

向き不向きがあるとしたらそのくらいの話だと思える。

高橋大輔君なんか、「モチベーションをどこに持ったらいいかわからない」と、

トリノ五輪の直後から言ってたからね(汗)

好きでやっていることですらそういう感じになってしまう。

 

私は嗅覚がけっこう敏感だけど、

臭気判定士の方が、「私は特に嗅覚が鋭いわけではありません。

不快な匂いもかがなくてはならないので、鈍感でも敏感すぎてもつとまらない」

と言ってて、「そういうもんか」と。

その人は、「人と関わるのが苦手な自分には向いた仕事」と言ってた。

 

私自身は、大企業のオフィスが一番嫌いかも。

もちろん雰囲気によるとは思うけど、

あの空間で何のストレスも感じない人は人種が違う。

人間的なこととはもっとも遠い空間ですね。

となりに人が座ってても、ほぼ一日中無視しなきゃならないし。

「才能ない」「向いてない」というのはこういうことを言うんだと思う。

普通にありえないと思うもん。

それでもお金のためにだけ行ってますが。

やりたいことのためにお金が要ると思わなければ絶対行きたくないね。

向いてないとすればそれは「人間関係」かもな。。。