あ。。
↓のこと書いて思い出したんだけど、
少し前の「マッサン」で、エリーが、
娘のエマの恋愛に大反対するという場面があってさ、
周囲にはそれが、「子離れできない母のヒステリー」
のように見えていて、マッサンも、
「もう寝よう。一晩寝れば頭も冷えるだろうから」とエリーに言うんだけど、
「私は冷静」と答えるくだりがあった。
のちに、エリーは娘の恋愛にただ反対してたわけじゃなくて、
自分自身が戦争で婚約者を亡くしていたから、というのが発覚するんだけど、
その、「私は冷静」とエリーが言う場面で、なんとなくぴんと来るものがあって。
これを言うとさ、周囲から、
「頭に血が上った人間が、さらにそれを認めないことを言った、負け惜しみの発言」みたいに見られるだろうけど、
実際そうではなく、エリーはある種冷静だったわけで。
ちゃんと正当な理由がある感情だったわけ。
こういうとき、「まあまあ、冷静になりなよ」
と上から言われるとかなり腹立つよね。
「怒りに任せておかしくなってる」みたいに見られるのって。
でも私は思うんだけど、案外ちゃんと理由があって怒っている人も、
実は多いんだと思う。
つーか、このような時勢に怒らないでいられるほうがどうかしてる。
でもさ、テレビのお笑いとかネットのせいもあって、少しでも話がこじれる、
話が長くなると「またかよ。。」と、最後まで話を聞かない作法が蔓延してしまった。
少し話長いだけで「クレーマー」「ボケ老人」扱い。
これじゃ、中身のある話は一切できなくなってしまう。
だから、ゲンロンなんかはネットで対談をしているんだろうけど。。。
何をさしおいても、合理性が最優先、という社会は、
結局、繊細な人から心を蝕まれていくように思う。
もちろん、すべて聞いていたら、
最近の学校の「順番つけない」みたいなおかしなことになるだろうけど、
差別とかそういうことについては、少しも議論が進んでいなくて、
むしろひどくなっているので、なんでなんだろうという感じ。
ただ隠蔽するだけではどうにもならない、というのがわかっていたから、
あえて作られている映画とかも昔はあったけど、
それも含めてまるっと「見てみぬふり」が横行しちゃったし、
声を上げたい人がいても、全部押し付けられても困るとか、
一人で全部の批判受けないといけない恐怖とかもあって、誰も何も言えなくなった。
なんかさ、手をつけやすくて、「シャレにならない」とかじゃない、
受け入れやすいことやってる人をみんな好むようになっちゃったのよね。
で、シャレにならないことを扱う人を忌み嫌うようになった。
でも私の感覚では、「シャレにならない」ことのほうが世の中多くて、
よくもここまで巧妙に隠蔽してきたな。。と思いますね。。
少しでも場が「シーン」となる、深刻な空気になるのを嫌うとか、
そういうのも病気っぽいなと思う。
あるよそんなときも。
てか、なかったら人は、のべつ幕なくヘラヘラしていなくてはならなくなる。
なんでも楽しいとか、和やかで済むわけがねえだろと。。