んー。。

福島のひとが怒っていないとか考えられない。その(ある意味無根拠な)前提のうえでぼくは話しているので、「いやいや福島のひとは怒ってないよ」というひととは、最初から話があわないのかもしれません。でも、やっぱさすがに怒っているんじゃないかな・・違うのかな・・

 

 

 

思うんだけど、福島の人の気持ちがリアルにどうとかって、
いちいち配慮するよりも、
(配慮ばかりしてたら全ての言葉が批判対象になって何も言えない)
ああいった出来事を、差別されたままで放置することも、
いろいろ言うと面倒だからと「腫れ物」扱いにしてあえて何も言わないことも、
どちらも解決にならない、というのがあるから、
上のような発言になるんじゃないのかな。
すごい勢いで風化していっている感があるし。
 
どうも最近は、「怒りで声を荒げる=みっともない、大人げない、はしたない」
というのがあまりにもはびこりすぎている気がするけど、
激高したり、声を荒げないと伝わらない思いだって当然あるよ。
それが、「その人にとってせっぱつまった問題、実存に関わる、声を荒げて言わざるを得ないこと」
であれば、そういう表明をしていかないと、
穏やかに話してたってそういうふうに伝わらないんだから。
 
「これこれをしてもらわないと死ぬ」「認めてもらわないと生きていけない」
くらいの気持ちのときにさ、冷静に「いやいや」とかあしらわれたり、
無視されたりすれば誰だって怒り狂う。
でもそれこそがその人の心の底からの思いのたけでしょ。
 
文明人なら、知的な生き物なら、「穏やかに話し合え、わかるように言え」
というのは、しょうもない、知性のない田舎者の発想に見える。
人の感情なめんなよ、って話ですよ。。