ほほう。。
前にもある記事について言及したことで、ちょっと関係ある話なんだけど。。
「働かざる者食うべからず」という言葉の出典が、新約聖書であり、
レーニンの時代には、不労所得で荒稼ぎする資本家を戒めるための言葉であった、
ということを今になって知り、軽い衝撃を受けたりしていて。。
私はこの言葉が本当にいやで、
直感的に避けている言葉だったんだよね。
なんか脅しっぽく聞こえるから。
今になってそれが、荒稼ぎする資本家への言葉だと知るにいたり、
少しだけ気持ちが楽になった気がした。
これまでどれほど、「お給料は我慢料」だのと聞かされ、
明らかに自分よりもしょうもない人間に使われることに苦痛を感じてきたかわからず、
「そういう妙な精神論じゃなくて、
もっと人間にとって苦痛が少ないように、うまくシステムって回せないのかな」
という疑問を常に抱いていて。
そういうことを口にしては、「甘えだ」「つまらぬ考えだ」と、今まで散々切り捨てられてきたけど、
そろそろ本気で考えたほうがいいのかもしれないなあ。
苦痛の種類がちょっとシャレにならなくなってきた。
本当にやる気が出ないんだよね。
一番素朴に思うのは、通勤の無駄さ。
お金も動力も時間も体力も無駄。
わざわざ会社に毎日行かないといけない理由がよくわからない。
会社にさえ行かなくていいなら、昼飯代もかからないし、
「ランチタイム症候群」なるくだらない付き合いに振り回されることもない。
ぼっち飯の何がいけないんだよ。
あと、人付き合いの無駄さ。
仕事って、周囲の同僚とか上司とかと付き合うために行ってないんだけど、
そういうことが器用な人間が評価されたりしてあほくさい。
もっともっと、システマティックに効率とかを最優先に考えて、
つまらない人付き合いとか排除する方向に行かないと、みんなうつになっちゃう。
毎日毎日、いちいち世間話のネタをひねり出すのとかしんどいわ。
会社は気の合う相手ばかりではないし、ただでさえ日本人はおいそれと心を開かないんだから。
人と交流したい人だけが会社に出てって、サロンとかカフェかなんかで打ち合わせでもすればいい。
あとは家でやったってかまわないじゃないかと。
いちいち、バリッとスーツとか着こんで会社行くのも、
もったいないよね、スーツ代とか靴代とかバッグ代とか。
しかも、休日にはおしゃれなカジュアルウエアまで持ってないといけない。
そんなに分けるほどのお金はありませんよ。
そういうのは、「オレはデキるサラリーマン!」みたいな気分の問題であって、
営業とかで着る以外、あんまり意味ないんじゃないですかね。
実際本気で考えれば、こういった無駄は極限までなくせると私は思うんだけど、
脱社畜論を叩く人、ポエム企業に感動する人が大勢いる社会だし、
声を大にして言うのはめんどくさい。
けどいずれ。。。なくなると思いますよ。
明治時代にはサラリーマンなんて哀れだと思われていた存在だし、
そもそもが9時5時(もっとか)で拘束され、決まった月給しかもらえない不自由な人たちなわけだし。
それについて一度も疑問を感じたことのない人とは、
私は多分気が合わないと思うなあ。
まったくのバカ話だと一蹴せず、一度このことをまともに考えてみる意味はあると思う。
私はサラリーマンにあこがれたことは一度もないし、
けどたまに、「サラリーマンをバカにするとは!」と何故か噴き上がる人たちがいる。
別にバカにしてないけど、自分には無理というだけです。
いろいろ無意味だもん。
無意味だと思いながら通い続ける気力が私にはないということ。
てか普通、無意味なことを延々とやり続ける気力のある人はそうそういないよね。
みんな偉いよな。。