うーんと。。
以前、宮台さんがよく本で書いてた気がするけど、
「本音と建前」ということが、もう通じない社会になってきたと。
要は、建前を本気で信じてしまう人が増えて、
短絡的だったり、精神が脆弱になっているみたいな。
「怠けてはいけない、人間は身を粉にして働かねば」
みたいなのは、主に日本に特有の価値観かもしれない。
欧米の人たちがあまり必死で働かずにバカンスとかを取るのは、
「人らしさを失ってまで働くなんて意味がない」みたいな、
至極真っ当な感覚からだと思うんだけど、日本人にはこれが通用しない。
要するに異常だということです。
うつになっても過労になっても、死ぬまで働いたり平気でしてしまうということ。
ちょっと前の記事に、不労所得を得たい人が多いんだろうと書いたんだけど、
これは全てが不純なわけでもなくて、
今の日本の企業社会のように、人が人らしさを失うくらいなら、
不労所得でなんとか生活したいという願望かもしれない。
なので、私は仕事に執着がない人についてさほど悪印象を持っていない。
むしろ、「働かざる者食うべからず」と、
鬼の形相で他人を責め立てる人のほうが怖い。
これって、多分に「妬みそねみ」なんだよね。
多くの人が、人目を気にしてイヤイヤ働いているから、
さほど働かずに済む人を見ると腹立たしい、そういうことだと思う。
で、鬼の首でも取ったかのように、
「働かないなんてありえない」と、「建前」を振りかざして他人を責め立てる。
けど、建前はあくまで建前であり、それは実は真実でもなんでもない。
「脱社畜」という言説に噛み付いている人は、
本当は誰よりも働きたくないんだろうし、
働くということについて、ものすごく限定的な想像しかできないんだろうなと。
苦行みたいなね。
別に、誰も苦行をしろと頼んでないよと思うんだけど。
苦行にしないためには、それなりの知恵とか社会性が必要なんだけど、
仕事へのイメージが貧しい人ほど他人が怠けるのを許さず、徹底的に叩こうとする。
なんでもそうなんだけど、
「この人がやるならやっていい」ということがあるんだよね。
不労所得でも、何か別の目的や志があって、そのためならやむをえない場合もあるんだけど、
それを見て、妬んだ他人が乗っかろうとするのはよくない。
それはただ怠けるためだけの行為だから。
時間があっても無為にしか使えない人、
人と関わってもよいほうにそれを生かせない人は、
本当は社会に出ないでくれたほうが人のためかもしれない。
でもそうはならないんだよな。。変な理想論とか掲げたりして。
実は、人目を気にしなければ、生活にそれほどお金はかからないし、
ということは死ぬほど働くなんてこともしなくていい。
一昔前までは、自分で自分に、「暇があってもしょうがないから」と、
働いていた人は多いと思うけど、彼らは周囲にあまり働かない人がいても、
いちいち他人を責め立てたりしなかった気がする。
必死に働くのが性に合わない人は、そういう場にいて、
なんか棲み分けができていた感じがする。
うまく棲み分ければ何のことはないのに、
今は誰も彼もを引っ張り出してきて叩こうとするしな。。
住みにくい。。